2014/04/18

書いてしまえば頭から離れる気がする話


ポーズとしての幸福ではなく中身のある幸福なやりかたを選んでいきたい
そうするとやはり様にならなかったり理解されにくいことになるかな

ほんとは理解されやすいステレオタイプを頼るやりかたもバカにできない
例えば結婚は親を安心させられるものらしいし
なんなら「これで良かったんだ」と自分すら納得させられるかもしれない


たぶん他人とちがうことをやって失敗するのがこわい
「それみたことか」っていう他人の視線を自作してしまう
他人とちがうかどうか
そもそもそこに頓着せず愚直に自分にぴたりとくる方法を探す

わたしから見て創造的に生きている人ってのは
オリジナリティあるかどうかなんて考えてもいない気がする

息をするように無意識でしちゃうことを増やす
考えないことを増やす

そんなの単純明快すぎて考えたことなく分かっているっていうことがあるなら
それ たぶん才能のあることだから
はやく見つけられるといいね
「えっ それ当然じゃないの」っていう場面はきっと他人とのやりとりの中で見つかる

それがリアルな対話のなかにだけ求められるとは限らないんじゃないか
本を通じてできる人もいるかもしれない


こういう抽象的なことをつらつらブログに書くような大人ではなく
なにも言わず行動しているような大人になるべきだった