2015/10/11

「岸辺の旅」を観ました+読みました




どうも、rintaroです。
岸辺の旅」という映画、もう観られましたか。

個人的に信頼している映画好きの「言葉がでない」等の感想を見かけてたまらずほとんど情報も仕入れないまま観てきました。



唐突に現れた浅野忠信が「俺、死んだよ」と言う。
え、ああ、まあ、生きていればそういうこともあるよな、人間、と思う。

映画の前提は鵜呑みにしたほうが映画を全力でたのしめるという都合もあるけど、そもそもそれほど引っかからなかった。
「体は蟹に喰われてしまった」と嘘でもないような調子で続けるので笑ってしまい、笑ってしまうとこの話は了解、という空気になる。



本人はそう言っているが、優介(浅野忠信)は果たして死者なのか。
ゴツッゴツッと靴を鳴らして土足で食卓に登場し、白玉だんごを食べる優介。
いわゆる幽霊らしくはない。

それなら、この作品で死者は何をあらわしているのか。



人物たちの表情の変化に脈絡がない。
感情の読めない佇まいからスルリと表情を浮かべる仕草は人間離れしているように思った。
そういう得体の知れなさや分からないことの多さから、旅に終わりがあることだけでなく、この旅の時間はいつでも壊れうるのだという脆さが漂う。

それでも分からないことに踏みこまないと知ることはできない。
旅するうちに分かることを増やし互いの気持ちを確かめていく様は、人生を慈しんでいる以外の言葉がない。



蒼井優がすごい。不気味だった。
優介の不倫相手だった朋子(蒼井優)は、分からない気持ちを封印することにした人物だったのではないか。

たぶん分からないことに取り囲まれて不安でしかたなくて、でも詳らかにする勇気もなく、そんな自分にまた苦しんで。
そうして分かることは諦めて静かに死んだように生きることを選んだのではないか。
普通を受けいれて保つことで自分を守るために。


生者も死者も繋がりを手繰るけど、生者は生きながら通じ合うという意志を捨てることもできる。
死者は、この世と通じ合わないと現れることがない。


互いの分からないことに、どう踏み込めばいいのか。
底知れなさと複雑さに怯えることもあるかもしれない。

完璧な状態ではじまる夫婦関係なんてない。
何でも話せたり理解しあえたりする関係でないと夫婦がはじめられないわけでもないし、続けられないわけでもない。

分からないことも分かることも同時に存在する。
それでも、分かりたい知りたいと求めるとき、そこに繋がりが生まれるのではないか。
生きていようと死んでいようと。